1947년 일본에서 한국으로 |
1947年春
フィルムスキャナーで、古いフィルムから現れる過去への旅に出発する。なにがあったのかな。
1941年、私は大阪で生まれた。父と母は、済州島から、職工として、それぞれ日本に渡って来た。
二人は大阪で結婚し、兄と私が生まれた。
太平洋戦争中は豊岡へ疎開をした。1945年終戦後、大阪・東成区の森町で住んでいた。
私たち朝鮮人は祖国が解放されたので、本国へ帰国するのだと、1947年春に、母と兄と私の3人で、
韓国・全羅北道、裡里へ帰った。父は、財産を持って帰れないので、
後からそれを解決してから、帰国するということで、日本に残った。
左の写真の裏に、「昭和22年4月30日写す」と 書かれてあった。 昭和22年とは1947年だ。 左が母、玄行春。1900年生 この時47歳になる。 右後ろが仁守兄(15歳)1933年生、 その前が私、仁鳳(6歳)1941年生だ。 韓国へ帰国直前に撮影されたと思われる。 |
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6歳のときの私。 小さいときの写真はこれしか見あたらない。 |
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仁守兄さん。7歳。小学に入る直前だ。 | ||||||||||
生駒山で撮った写真。父、1901年生。 と、姜おばさん、と私。 上の母と兄さんと撮った写真と同じ時期と思われるが、服装を見ると、春以降のようだ。 生駒山まで白いチマ・チョゴリで行ったとは、なぜだろう。 |
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日本にいるときの、母親。 母親の写真があまりない。 |
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