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フィルム・スキャナーで過去を旅する

1975年写植で組版オフセット印刷
民団や親睦団体などページもの印刷が増える

1975년 사진식자로 조판

1975年


フィルム・スキャナーで、古いフィルムから現れる過去への旅に出発する。なにがあったのかな。


1975年、写真植字で組版し、オフセット印刷の仕事が増え、小型オフセット印刷機を導入した。
ページものの印刷物も増えた。民団や領事館、そして親睦団体など。印刷した刷り取りのほんの一部だ。

1975年に、西成の梅南中学校の校長、佐伯先生から連絡があった。在日の生徒を本名で呼ぶために人名辞典を作りたいという、話だ。
ハングル混ざりの印刷は日本の印刷会社ではできない。ということで、僑文社に問い合わせが来た。
出版されると、反応が良くて、すぐ76年に再販の注文が来た。
自宅の屋上、プレハブでこれらの作業を行った。
この本は、現在、他の出版社から、復刻され、装丁が変わって、出版されている。韓国人の人名の漢字がすべて掲載されて、難しい組版だった。

民団の8・15記念式典プログラムや、親睦団体のプログラムの印刷物が多かった。
1975年の光複節プログラム。会場が大阪フェスティバルホールで、盛大だった。44ページ。
1974年の光複節プログラム。44ページ。
大阪韓国総領事館からの注文で、
当時の総領事の趙一済公使の講演集だ。
趙一済公使の時に、建国学校が韓国系学校になった。
民団布施支部の秋夕同胞慰安のプログラム。
72ページ
在日の親睦団体のひとつ、済州青年会の会報。
年4回の定期刊行物だ。私は広報部に所属し、取材し、製作した。
大阪外大・朝鮮語講座の機関誌(?)

■僑文社在日実業名鑑を編集(1988・89/1/)
■1986年辛基秀さんが取材する(1986/)
■1970年屋上に写植機を導入(1970/2/)
■1969年僑文社が桃谷へ移転(1969/6/)
■1968年びわ湖1周ドライブ(1968/8/30)
■1968年韓国文印刷僑文社始める(1968/1/)

■フィルム・スキャナで過去へ


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