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脱北者の記者会見
2003年2月28日

まだ未完成です。

28日午後2時から記者会見があった。
フジテレビの通訳にケイビーエスのスタッフが担当している。
大阪なら関西テレビ8ch、ひょっとしたら、私、写っているかも。

記者会見の場所はサヌカイトビル。そんなに広くないところに、報道関係者できゅうきゅう詰め。
主催者のひとり山田さん、そしてアジアプレスの石丸さん
このたび来日したのは、元在日の脱北者11人。帽子をかぶったり、サングラスをかけているのは、まだ「北」に家族がいるからだ。また、偽名を使っている人もいる。
1)文さん 2)李さん 3)鄭さん
4)朴さん 5)白さん
6)安さん
7)姜さん
8)呉寿龍さん
以前テレビで見たことがある。
9)李さん
10)宋さん
RENKの李英和さんと、
11)金さん
すごい、報道陣たちだ。
主催者側の通訳には九州産業大学の長谷川さん(左)
行方不明になった娘の為に顔を報道機関に出した。そして、名前も。
フジテレビ記者の相馬さんとKBS翻訳スタッフの李さん。そして、カメラマン。
脱北者11人、会見で受け入れ支援を訴え
 60年代に帰還事業で北朝鮮へ渡り、脱出して韓国に住む元在日朝鮮人と北朝鮮生まれの2世の「脱北者」計11人が28日、大阪市内で記者会見した。親類が餓死した食糧難の窮状や脱北に失敗して拷問された体験を証言し、「一日も早く北朝鮮帰国者が日本へ里帰りできるよう、そして脱北者を日本も受け入れてほしい」と訴えた。
 文賢一(ムン・ヒョニル)さん(54)は仲間が相次いで脱北を試みたため、「思想が悪い」と76年に北朝鮮北部の炭鉱の町へ追放され、働かされた。「その後19年間、当局の見張りがついた」。帰国を促した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)には「北朝鮮が地上の楽園かどうか確認せず、なぜ楽園と言ったのか聞きたい」と怒りをぶつけた。
 また日本人拉致被害者について、長女の夫から「92年ごろ平壌で拉致された日本人3、4人を見たと聞いた」と話した。
 李紀子(リ・キジャ)さん(54)は「帰国者という『看板』があり出世できない。両親も苦労して早く亡くなった。子どもを苦労させないため、麻薬密輸にもかかわった」という。長男は脱北時に凍傷になり、左脚の切断手術を受けた。娘はいまも消息がわからないという。
 大阪出身の男性(52)は、94年から食糧配給がなくなり、植物の茎を干して粉にして食べた。親族が餓死したが「自分が死んでしまうので助けられなかった」と打ち明け、「北朝鮮の人権抑圧状況を理解し、民主化のために協力してほしい」と訴えた。
 親が帰国者で北朝鮮で生まれた2世の女性(24)は脱北に2度失敗し、送還された体験を涙ながらに話した。「朝鮮を裏切った。死ぬ準備をしろ」と当局の取り調べを受け、両脚を棒で殴られた。いまも階段を上ると、両ひざが痛むという。
 一行は「日本人拉致問題にも協力して活動したい」と胸に青いリボンを付け会見。北朝鮮に残る家族を心配し、サングラスで顔を隠す人もいた。
(朝日)

■テレビの画面から
■私の目で見た平壌(2002/5/18〜25)

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