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韓国盧武鉉大統領が就任
2003年2月25日

2003年2月25日韓国の第16代大統領の就任式があった。
(韓国KBSの中継をNHKが放送、そこから写真を撮った。)

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 盧新大統領は就任演説で、北朝鮮の核問題について「核開発は決して容認できない」とする一方、「対話による平和的解決」を強調。日米韓協調を訴えながらも、「いかなる形態であれ、軍事的緊張が高まってはならない」と述べ、米国や国際社会が経済制裁や封じ込めなど北朝鮮への強硬策を取ることには反対する立場を間接的に示した。

 盧大統領は演説の題目を「平和と繁栄と跳躍の時代へ」とし、北東アジアを欧州連合(EU)のような「繁栄の共同体」に発展させるため、まず朝鮮半島の平和定着を図ると強調した。

 そのうえで、北朝鮮の核問題は「北東アジアと世界の平和に重大な脅威となっている」と指摘。「北が核開発計画を放棄するなら、我々と国際社会は北が望む多くのものを提供するだろう」と妥協案を提示し、北朝鮮に「核兵器を保有するか、体制安全と経済支援の約束を得るかを選択しなければならない」と迫った。

 対北朝鮮政策については南北対話と協力を推進した金大中政権の「太陽政策」を継承し、その成果を発展させるとしたうえで、対北送金疑惑など批判も多かった点を考慮し、広範囲の国民的合意を目指すと強調。名称も「平和繁栄政策」に改めるとした。

 同政策は〈1〉対話による問題解決〈2〉相互信頼と互恵〈3〉南北当事者原則を基礎に円滑な国際協力を追求〈4〉国民参加と超党派の協力――を4大原則とし、北朝鮮の金正日政権を共存に足る相手とみなして、日米など関係国と協調しながらも、「南北当事者による解決」を重視していく姿勢を示した。

 対米関係では、韓米同盟が「我々の安全保障と経済発展に大きく寄与した。深く感謝している」とし、同盟関係を発展させると明言。ただ、昨年の在韓米軍装甲車の死亡事故による反米感情も意識し、「互恵平等の関係へ成熟させていく」として、対等な米韓関係の構築を打ち出した。

 内政では、少数与党の政権基盤の弱さもあって、国民参加型の「参与の政府」を新政権のキャッチフレーズとし、「改革」と「統合」を国民に強く呼びかけた。大邱(テグ)市の地下鉄惨事については、再発防止に向けて災害管理体制を全面的に見直し、安全な社会作りに向けて最善を尽くすとした。

 就任式には、一般国民約2万人を含む4万5000人が参加し、小泉首相やパウエル米国務長官、銭其チン・中国副首相ら各国首脳、閣僚も出席した。盧氏は就任式後、小泉首相らと相次いで会談し、北朝鮮の核問題など諸懸案を協議した。(読売)
17歳の若者が愛国歌を歌った。
おお、この人も参加してる。
小泉日本首相の顔が見える。
ヨイドには一般国民も沢山参加。
「北」に対しては平和的に対話で解決して行く。
米パウエル長官も。  ◆就任演説の骨子◆
▽北東アジアに欧州連合(EU)のような平和と共生の秩序を構築する
▽北朝鮮とのすべての懸案は対話を通じ解決する
▽北朝鮮の核開発は容認できない。平和的解決に向け、日米との協調を強化する
▽韓米同盟を発展させ、互恵平等関係に成熟させる
▽原則と信頼、公正と透明、対話と妥協、分権と自律を国政運営の座標とする
 小泉首相は25日、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領とソウル市内の大統領府で50分間会談した。両首脳は北朝鮮の核開発問題の平和的・外交的解決のため、日韓米の緊密な協力を堅持していくことを再確認し、中国、ロシア、欧州連合(EU)とも協力して北朝鮮の説得を続けることで一致した。未来志向の日韓関係のため、青少年スポーツ交流を拡大し、若者を中心に両国民の信頼関係を築いていくことや、盧大統領の早期訪日でも合意した。(朝日)
《天声人語》
 子どもの頃から人一倍怖がり屋だったという。きょう韓国の大統領を退任する金大中氏である。たびたびの投獄経験があるが「何度経験しても監獄に入る瞬間は、そのたびごとに心は萎え、恐怖で身がすくみます」(『新しき出発のために』朝日新聞社)。
勇気ある人のようにいわれるが、そうではない、と。「恐怖に身をすくませながら、なおかつ思うところを断固として行う」。そうした矛盾した行動が人間らしさではないか、と。全斗煥時代に逮捕され、死刑判決を受けた。判決の前に何度も懐柔策を示されたが拒否、しかし一方で死の恐怖に震えていたという。
人間の弱さを知り抜いていた。自分を迫害した人たちに対しても「容赦と寛容」を説き続けたのは、彼らの弱さをよく分かっていたからだろう。侮辱や屈辱にとうてい耐えられないと思っても「一日だけ耐えてみよう」と考える。それができれば相手を理解できるようになるし、理解できれば容赦へ、そして和解へと至る。氏はそう考える。
北朝鮮への太陽政策も氏のそうした考えが基盤にあったのだろう。南北首脳会談からノーベル平和賞受賞の頃が政治家としての絶頂期だった。頂上を極めた後は下り坂で、かつての輝きもあせていく。政治家としての評価もこれからだろう。
しかし波乱の人生を生きた稀有(けう)の人であることは間違いない。日本の植民地支配の時代に多感な青春を過ごし、戦後の過酷な圧政を生き延び、最高権力者にまで上りつめた。
その退場は感慨深いが、いまは「お疲れさまでした」といいたい。(朝日新聞03/02/24)

■韓国盧武鉉大統領が来日(2003/6/6)
■南北首脳会談(2000/6/13)
■小泉首相就任後初めて韓国訪問(2001/10/15)
■多言語スペースKBSマダン(2002/12/30)


■KBS読売TVウェークアップ!に登場(2002/11/30)
■私の目で見た中国延辺(2002/8/31〜9/4)
■私の目で見た平壌(2002/5/18〜25)
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