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オブジェ「まだんランプ」に寄せて


高敦史君、誕生おめでとう!
君は2004年2月17日この世に生まれた。君のお父さんもお母さんも、そしておじいさんもおばあさんも、親戚もその友達も、多くの人が君の誕生を心より喜んだ。
君が生まれた国は日本であるが、ほんとうのふるさとの国は先祖の地にしてお隣の国、大韓民国である。君は在日韓国人4世で、生まれながらにして2つの祖国を持つ。
メイド・イン・ジャパンでハングクサラムである。

2つの国に生きることは、かつてはなかなか難しいことで、いまなお不便なことも多い。
しかし2つの国の言葉や暮らし方の、「違い」や、あるいは「同じところ」が分かるということは、3つ以上の、あるいは世界ぜんぶの国と地域のひとびとのこともわかることにもつながる。それはとても素晴らしいことだ。それを証明したのが君のおじいさん、ハラボジである。
日本と韓国は、古代から世界でもっとも素晴らしい自然と、高い文化を、長い歴史を、素晴らしい人々が、ほとんどの時間を、仲良く一緒に育んできた。外国籍で生まれて、異国に住むことはこれからも「なんぎなこと」があるかもしれない。しかし君はそんなときにも一番に違う人、弱い人のことを良く考え、みんなのよりよい未来のために考え、世界を舞台に行動できる、強くやさしい人間となってほしい。残念ながら、そのような人間はまだまだ少ないのだ。
高くアツイ志をもって未来の歴史を作る。君の家族と先祖は、特にこの日本に来て以来その経験と知恵を、長い時間をかけて地域の人々とはぐくんだし、君の名はその願いからつけられたのだと思う。君の先祖と祖国を、君の生まれた国と地域とその人々を、そして君自身の人生を、限りない誇りを持って生きて欲しい。また自分の能力と、自分の友と、自分に与えられたチャンスを信じてまっすぐに生きて欲しい。

君が生まれたのは大阪というまちだ。世界につながるこのまちの歴史は長い。しかし、日本は世界とのつながりを300年足らず閉ざしたこともある。その間にも日本と韓国の歴史だけは途絶えることはなかった。日本は150年ほど前、明治維新というアジアで初めての近代国家へ転換を果たし、世界のすべてにふたたび門を開いた。以来、西の方に繊維産業が生まれて、ほぼ同じころに中心部に五代友厚という人によってコインを作る工場が作られた、大阪の金属産業はそこで起こった。
次に戦争をするための兵器を作る大きな工場が作られてしまった。これが大変な災いをもたらした。しかし、その周辺産業として東、いまの生野区・東成区に金属産業、ゴムなどの高分子化合物産業が発展した。これらの大阪の産業の労働力を支えた人の多くが、君の祖国や沖縄から無理やりつれてこられたり、生きるために自分から海を渡ってきた人々だった。

日本は多くの間違いを犯して戦争に敗れた。君の国、そしてさらにまわりの他の国の人々にも、多くの迷惑をかけてしまった。その戦争が終わった後も、この生野では、いまなお日本で最も多くの在日韓国・朝鮮人が住んでいる。それにはさまざまの理由がある。そして金属産業は今なお盛んである。多くの町工場が世界一の製品の部品を作った。それが働く人々をさらに増やしていった。
君のひいおじいさんが戦争前にかつてここに移り住み、君のおじいさん(ハラボジ)高仁鳳さんもここで生まれ育った。僕たちは高さんのことが大好きだ。

高さんは今、この生野区に多く住む在日韓国人きっての長老で、深い知恵を持ち、おじいさんを知る人は、今韓国人だけでなく日本人の誰もが尊敬している。その名前のとおり徳の高い人で、仁義に厚く、天駆ける鳳のように志の高い人である。ハラボジはこの生野に育って、戦争の後祖国に帰ろうとしたが、そこでもまた戦争が起きていて、住むことが出来なくなった。仕方なく大阪に帰ってきた。そして学校を卒業後、就職した出版社を盛り上げ、はたらきもので、とてもすばらしいハルモニと出会い、力を合わせて、地球のどこでもコンピュータで結ばれるインターネットの時代に、世界にも珍しい多言語出版会社として発展させて大成功させた。

たいへん悲しい思い出もあったと思うし、とんでもない苦労されたに違いない。しかし今、自転車とビールが大好きで、それ以上に友達が集うことがいちばん大好きで、誰よりも人生を楽しんでいる人に見える。これがとてもカッコいいことだ。ハラボジは社長から会長になる直前、会社のとなりに地域と人々のために開放する空間を作った。名前を「まだん」という。

大きな町の商人には時々そういう人がいる。ニューヨークにはロックフェラープラザとかカーネギーホールいう空間がある。フィレンツェではメジチ家という金持ちが街ごと作ってしまった。大阪の中ノ島の中央公会堂も岩本栄之助さんという北浜きっての相場師が作ったそうである。これに比べれば高さんの作った「まだん」は小さいが、生野区にはじめて生まれた空間で歴史的に大きな意味を持つ。
これを近頃は「メセナ」と呼ぶが、不況で、苦しい時代にあえてそのような事をやろうとしたのはハラボジだけだ。大きな会社は景気のいい時には、いろいろやったのだが、そんな事はすっかり遠い昔にやめてしまったのだ。

そして、そこにはフォーラム・アイという、五代さんや岩本さんの末裔となる大阪商工会議所の、支部の勉強会、どちらかといえば遊んでばかりいるように見えるが実ににぎやかで元気のよい連中が集まった。僕たちはハラボジと同じその仲間である。ちなみにフォーラムというのは広場という意味で、ほとんど「まだん」と同じ意味である。
アイは生野という意味でも、愛するという意味や、アイデア(発想・理想)という意味でもあるらしい。僕たちは、まだんで、高さんに刺激を受けて、エネルギッシュに新しいものつくりをしようとした。そのために君の祖国韓国や、どうも韓国人とよく似た、歌ったり、食べたり、人を好きになることが大好きな、あっけらかんとした性格の人々が多く住むという、遠く西洋のイタリアのミラノというところに行ってデザインとか仲間の作り方を学んでみた。
そして韓国語やイタリア語の勉強を始めてみたりした。ミラノのバッグ職人のロッシさんと言う人はわざわざこの生野まで来てくれた。顔は違っても世界には大変良く似た性格の人が住んでいるものだ。
それでもなかなかものは出来ないのだが、いつかきっとうまくゆくと思う。

「生野を日本のミラノに」
こんな運動は、おじいさんとともにフォーラム・アイの代表の佐藤さんや、その先輩の坂本春機さんという人が考え始めた。佐藤さんは明治維新の英雄、坂本竜馬が大好きな人である。坂本竜馬の物語は君が小学校に行ったら読むといい。高校生になったら、隣町に住んでいた司馬さんという人がいい本を書いている。この町の坂本春機さんのことも、機械を作ることもとても凄い人だったので、いつか誰かに聞いて知ってほしい。
歌が上手でオペラが大好き人だった。芝居や音楽会は実はものつくりの大きなヒントになる。チケットはとても高いものだが、忙しくても、ぜひ行ったほうがよい。しかし、坂本竜馬はとんでもなく若く、坂本春機さんもまだまだまだ若いのに亡くなられた。とても残念だった。しかし2人の坂本さんは自分が作りたい時代を明確に、後輩たちに伝えた。
坂本春機さんは、おじいさんに匹敵するこの町のヒーロだった。物語には必ずライバルが現われる。競争はしんどいことであるが、お互いを高めあう。だから人生は面白くなるのだ。

さて、これから君の物語が始まる・・・。

君の誕生を記念して、その空間と同じ名前の、この「まだん」というオブジェ(記念品)が作られた。これはフォーラム・アイの連中のうちのものをつくる人々が、高さんにお世話になりっぱなしなので、そろそろご機嫌をとっておかなければ申し訳ないと考えて創ったのがホンネだが、僕たちのいま持てる限りの知恵と力を込めていっしょうけんめい作り上げた。特に金属と和紙、木や皮で出来ていることがこの町の産業の姿を現している。

「ものつくりとは誰かのため、にという思いをなくしては作れない」
これは、フォーラム・アイのメンバーの中でも、高さんの一番の親友で、年下だがハラボジとしては少し先輩となるバッグ職人の山崎さんの言葉である。この言葉をかみ締めて作った。山崎さんはきっと君にもいろんなもの作りの考え方や、方法を教えてくれるだろう。

そんな作った人々の物語を語ろう。

デザインは大きく「i」の文字をかたどっている。
作品は大きく分けて3つの部分から成り立つ。

アタマの丸い部分は和紙で出来ている。和紙は平たいものであるが、これは河手さんという和紙を「なりわい」とする人が考えて丸く作った。どうやって作ったかは、敦史君へのクイズである。わからなければ河手さんに聞いて欲しい。丸は太陽と考えていい、その中にはランプが仕込まれている。ランプを取り囲んで青と赤の和紙が丸く取り囲んでいる。これは地球と考えていい。君の祖国・韓国の国旗をイメージしている。
上の丸の中の花柄は、えみりさんという魅力的なおねえさんが模様を付けた。自分で仕事を起こそうという人々が集まるフォーラム・アイにはまだまだ女性は少ない。これは残念なことである。仕事を始めるのは大変めんどうくさいことでもあるが、しかし限りなく楽しいことである。
敦史君が結婚するときには、えみりさんのような元気いっぱいの女の人がもっと増えていると思うし、そんな人を人生のパートナーに選ぶと、君の人生と仕事のチャンスと楽しみは倍以上に広がるだろう。

その下のアルミの立方体の素材の、もととなる板は山崎さんが考えた。多くの穴が開いているが、これは山崎さんの友達の出雲さんの会社の工場が持つ、世界最高のメード・イン・ジャパンの工作機械のひとつ、アマダのベンディングマシーンで、自転車の部品用として刻まれた素材である。このアマダの工作機械で、2002年に日本と韓国で行われて大成功したワールドカップサッカーの会場となった長居陸上競技場の屋根の部品が作られた。そんなとても贅沢で、スケールの大きな機械で自転車の部品を作るとは、山崎さんも出雲さんもそうとう物好きだったのであろう。が、ヒマと手間、心に余裕がないといいものは出来ない。2人は酒を飲んだり、山歩きをしたり、ジャズのパーティを開いたり、遊ぶのが何よりも上手である。この生き方を見習うのは、なかなか難しいが、敦史くんがずいぶん大きくなって考えれば、かなり楽しくなるだろう。

そしてこのアルミの板を四方に曲げてある、これは増井さんという声の大きく、にぎやかなおにいちゃんが、君の人生を思いっきり光らせようと、徹底的にぴかぴかに磨きぬいた。ただし、どうせ磨くなら、林さんが四角に曲げる前の平たいままのほうが磨きやすかった。ものを作るときには順番を間違えることがよくある。ものを作るときには良く考えて作ろう。
しかし、共同でものをつくるときに多少の失敗があっても仲間をなじってはいけない。間違いは誰にだって起こる。そして、失敗には実は次のものつくりの大きなヒントも隠されている。これを「失敗は発明のオモニ」とも言う。「必要は発明のオモニ」ということわざもある。
みんなで力を合わせることを「集団的創造労働」という。もっとわかりやすく言うと英語で、「チームワーク」と呼ぶ。余談だが、近鉄電車で東に、つまり生駒山の方に行った花園というところで、良く試合の行われるラグビーというスポーツには、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という言葉がある。これはもっとも大きなものつくりの知恵となる。
みんなが力を合わせるととんでもないことが出来るし、とんでもないものが作れる。先にこのような言葉、ことわざを覚えて、あとから体験すると身に良く付く。

このアルミ素材は四角形にしたが、アルミをくっつける方法でアルゴン溶接という特殊な溶接はしていない。山崎さんのバッグ用の皮の素材でまとめてみた。アルミ溶接の仕方のお手本なら、ホンダのNSXというスポーツカーを見ておこう。

アルミと下の木の部分の接着方法も、フォーラム・アイのメンバーで接着の専門家の松尾さんに聞いてみたが、「それは無理やなあ」ということで、ビス止めしてある。松尾さんは接着という技術、ものや人をくっつけることの難しさをよく知っている。しかし、接着や溶接、そして人間が語りあって理解をするときには、熱が生まれるということも知っておくとよい。
もののくっつけ方、人々のまとめ方は一様でない。急いで引っ付けてもすぐはがれることがよくある。ひとつの考え方にこだわらず、いろいろと考えてみよう。

そして、下の木の部分は河手さんが持ってきたが、横山さんという人が、これは船の形やなあ、と言って、林さんの工場で普段金属を削るグラインダーで形を船底のかたちに仕上げてもらった。
どうも大阪の隣町の八尾市の長原遺跡で出土した4世紀ごろの古代船の埴輪に似せたらしい。この船はかつて日本と朝鮮半島を往復していたようで、15年ほど前、大阪市の肝いりで「なみはや」という名前で復元させて学生に漕がせてプサンにまで行ったそうである。横山さんはその船の復元の出来事を伝えようとする仕事に関わったらしいが、これを語りだすと止まらなくなるだろうから詳しくは聞いてほしい。

このまちの学生で、かつて飛行機を乗っ取って君の国の北の方に行った人もいる。これは少し元気がよすぎて、多くの人々に迷惑をかけてしまった。世界の人々と仲良くなりたいと思っても、まず親に心配をかけないように、そして、人に迷惑をかけないかどうかよく考えなければならない。

このオブジェ「まだん」は、全体として波を蹴立てて、国境を越え、世界に進むアイデア(船)がイメージされている。撒きちらかされたアルミの丸い板の数々は、波しぶきを表している。これは蛍光灯の口金を作る大熊さんの工場からもらってきたもので、このアルミの板の一枚一枚にフォーラム・アイのメンバーひとり1人のイニシャルが刻んである。
大熊さんは、西洋のドイツという国の自動車やカメラ、万年筆などの機械をこよなく愛している。ドイツのものつくりは長い歴史を誇って、イタリアよりもずっと丈夫なものを造り、多くの分野で世界最高とされる。イタリアのものは形がかっこいい。だから高い値段でも人々はドイツ製やイタリア製の物を欲しくなる。イタリアもドイツも、日本や韓国のもの作りのライバルであり、お手本である。飛行機のチケットが安くなって、私たちも今よく行くようになったし、ソウルの東大門市場に集う野心的な若者デザイナーたちも何度も行って学んでいるようだ。いつか敦史君も行ってほしい。

そしてこのオブジェのなかに光る電球を支えているのは、林さんの工場のとても大きくて古いプレス機械で刻まれたフォークリフトの部品である。ちなみにこの物体の基本部分の構造も林さんの工場に河手さんとえみりさんと横山さんが突然来て、思いつきで、わずか3時間でエイヤッと作った。ものつくりの秘訣は高い志と、思い切りでもあるらしく、もたもたしていると出来ない。このオブジェ「まだん」にはこのようにこの他多くの人の知恵が織り込まれている。仕上げは、林さんと河手さんの2人が細かいところまで考えぬいた。何より多くの人の協力で生まれた。

そして、今回のオブジェ製作には関わらなかったが、平面を立体に仕上げる吉持さんの工場、特注家具を生産する熊谷さんの工場、紙の器をつくる中西さんの工場、手作り時計を作る玉利さんの工房などまだまだ、面白い工場がいっぱいある。

またフォーラム・アイには、ものつくりの工場だけでなく、造花やかばんの大きな卸元や、
ものを運ぶ人、会社を作る人や、会社の予算を扱う人や、会社の宣伝をする人、商品のかたちやアイデアの権利を守る方法を考える人、工場の土地を売ったり買ったりする人、会社の売り上げを伸ばそうとする人々、人々の髪のデザインを作る人・・・・いろんな人々がいる。みんな広い意味では「何らかのものを作ろうとする人」と言える。

このメンバーはすべて敦史君が大きくなって、ものを作ろうとするときに、必ず大きな力を貸してくれるだろう。ここまでに述べた人々をいつか必ず訪ねて欲しい。

今はいつも大きな声でしゃべりあっているが、喧嘩しているわけではない。不況という、この町の工場と商売が苦しかった時があった。大きな会社は注文をくれなくなり、より安くモノを作ろうと、働く人の賃金の安い中国へ注文を移すようになった。生野の工場の多くの機械が止まり、銀行が次々につぶれて、お金を貸してくれない時代があった。
そんな時代と闘って、小さな工場、小さな商店であっても、みんなの技を見せ合うことで、仲間で何か新しいものが作れないか。志の高いものを作って、世界に売って、未来を築くことが出来ないかと方法を必死に話し合って探していた。それはやがて必ず成功するはずである。

ものを作るのと違い、人間のチーム=仲間を作るのは大変で、一番難しいものだ。無理に作ろうとすれば必ず軋みが出る。無理に壊せば悲劇が起きる。かつて世界最高の「メイド・イン・ジャパン」は年功序列や生涯雇用、QCといった優れたチームワークから生まれたが、不況後、多くの日本の企業が目先の利益を確保しようと浅知恵に飛びついて、これまで築いた人間のチームをがたがたにしてしまった。職場の仲間同士が裏切り合い、多くの失業者や自殺者が生まれて、かつて世界最高だったメイド・イン・ジャパンのものの品質は結局がた落ちになった。

しかし、それを、もう一度まとめようとしたのが、君のハラボジである。おじいさんは人の仲間を作る名人だ。こんな時代にこそ、みんな集まろう、自転車で行こう!国境なんぞ越えてしまおう、と、新しいもの作りを呼びかけた。その場所が「まだん」なのだ。
このオブジェ「まだん」が意味するところは、そしてスペース「まだん」をハラボジがどうして作ろうとして、これからどう使えばいいのかは、敦史君が時間をかけて、自分で考えてくれるのが一番いい。悩んだときやアイデアが生まれないときに、この「まだん」で「まだん」の電気を光らせるといい・・・。きっと突破口が開くはずである。

2004年 5月

フォーラム・アイ 会員一同


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