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NHK-TV北朝鮮帰国船放送

NHK-TV 북한 귀국선 방송

2007年10月8日

NHKニューステレビで10月8日、北朝鮮帰国船-しらざる半世紀の記録-が、放送されました。
 1959年から84年まで続いた帰国事業で、9万3千人余りの在日朝鮮人とその家族が北朝鮮へと帰国した。

 ここ数年、北朝鮮に渡った人々が脱北し、日本へ戻ってくる例が急増しているが、素顔を明かして体験を語った例はほとんどない。今回、日本への帰還を果たした一人の男性が、その体験の詳細を初めて明らかにした。

 NHKは、世界各国からおよそ1万5千ページにおよぶ帰国事業に関する秘密文書を入手した。帰国者が北朝鮮でどのような運命をたどったのか、そして、帰国船は北朝鮮によってどのような目的に使われたのか、関係当局が注視した知られざる動向が記されている。
関係者の証言と膨大な秘密文書をもとに、北朝鮮帰国船の知られざる半世紀の軌跡をたどる。


各国の機密文書
当時9歳の在日が帰国した。キム・チュンガンさんだ。
当時の在日は多くの人が貧困であった。
希望に満ちた祖国への帰国
ソ連の文書に、この事業は北朝鮮にとって「政治的意義」があり「政治的利益」があると報告
帰国者の歓迎会が行われた。
当時のソ連大使館の書記官は当時のことを述べた。
総連では帰国実現の大会を行った。
日本政府は、人道的な立場から北朝鮮への帰国を推進することに。
しかし、駐日アメリカ大使の秘密文書には、日本政府としては「朝鮮人は日本国内から排除すべきだ」と。
多くの経済的にも損失を逃れる。
東ドイツ大使の報告書によれば
北朝鮮へ帰国した在日同胞は「信用できない」
全員が監視の対処になった。
総連の幹部であり、朝鮮大学副学長であった、朴さんは北朝鮮はすばらしい国だと論文に書いた。
朝鮮大学の学生など260人の在日青年は金日成主席の60歳の誕生日を祝うためにオートバイに乗って、平壌へ行き、そのまま留まった。
帰国船は工作員の司令船にもなった。
指令文書はお菓子の箱の中に偲ばせて持ち込んだ。
そのままでは見えない。特殊な薬を付けると文字が浮かび上がる。
キムさんは脱北して、帰国してからの北朝鮮であった事を話す。
多くの教え子を北朝鮮へ送り込んだ朴さんは、いま悔やんでいる。
朴さんは「ただ恥じるばかり」と本をだした。

■脱北者の記者会見(2003/2/28)
■李政美のコンサート&トーク(2002/12/22)
■私の目で見た平壌(2002/5/18~25)


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