04.7.8 1:17 PM 更新

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夏期学校に参加(3)
1966.8

8月20日夏期学校のスケジュールは終わった。
故郷訪問など9月5日のアリラン号に乗るまで、韓国で自由に見回る事ができる。
仁守兄が釜山に迎えに来て、8月21日ソウルへ向かった。
証明書
1966年8月20日に夏期学校を修了し、帰郷中なのであることを証明します。旅券は預かっています。という内容。
1966年9月5日12時、アリラン号で出発するので、遅れないように指導してください。という内容。
8月24日、以前働いていた首都理髪館へ行った。10年ぶりだが、あまり変わっていない。
散髪屋の主人の家族、奥さん、善姫、善起、あと妹、主人の林弘植と善玉はいなかった。
この散髪屋で約3年間働いた。
ソウル中区草洞107番地。
この長屋というかバラックの家に、散髪職員の安さんやその他の人もここに住んでいた。
散髪屋に勤めていたとき、ここの林主人宅の押入で約3年間住んだことがある。
あれから10年過ぎても、様子は変わっていなかった。
林主人の家の前、善姫
よく見に入った首都劇場。
善玉にも会った。
首都劇場前で。
兄さんとソウルの街を歩いた。
ソウルは第二のふるさとになるかな。13歳頃から約4年ぐらい住んでいた。
パゴダ公園。
8月28日ヒョンスの実家があるヘンジュへ行った。そこへは漢江を渡らなければならない。流し船で渡った。
船を少しこかしてもらった。
渡し船を待つ間。暑い。
兄、ヒョンス、私、允明、允京
のどかな田舎だ。
兄さんの家族はソウルで黄竜根さんのところに間借りをしていた。
ヒョンスの父母や家族、黄竜根さん夫妻も。
8月29日大田、おじさんの家へ
元吉おじさんは大田で、理容機器の工場を営んでいた。
家の工場と近くのところにあった。
おじさんの家族と兄さんと私
泰文と順徳と。
後ろがおじさんの家だ。
おじさんの工場の前で。
おばさんと順徳ちゃんと。
写真を撮るため、おめかしをした。
8月31日裡里市へ。

1947年に帰国して住んでいたところ。
私の人生で一番懐かしい、ふるさとだ。
今は益山市になっている。
この裡里で私は6.25動乱(朝鮮戦争)を体験したのだ。

このバラックの家で母は亡くなった。それは1952年2月10日。部屋もそのときのままであった。ここで1年ぐらい住んでいたかな。 親しくしていた友達「チョルウ」に会った。
向こうの方に見える煙突。
煉瓦工場、そのうらに犬小屋のようなバラックが数軒ある。
裡里市ナムジュンドン(南中洞?)。
ナムジュンドンからそう遠く内小高い山に母の墓があった。

(いまは父と並んでの墓が済州道にある。)

兄と一緒に墓の草を刈った。
裡里中央市場。
ここで、私の家族、母、兄、私の3人が住んでいた。
約2年間ほど住んでいた。ここで6.25戦争を迎える。
市場の前にある井戸。これが飲み水であり、洗濯など生活水だ。
裡里駅前(今は益山駅に) 裡里市山新洞、この家でおじさんの家族と住んだことがある。
ここもよく通っていた新光教会。中央市場から近い。
よく通っていた中央教会。
水利組合といわれた川。ここで泳ぎを習った。
あのときは大きな川に見えたが、今見ると小さな川であった。
裡里中央国民学校。1948年に入学して、1950年戦争で行けなくなった。
この大きな木の下で戦時中勉強をした。
路でおばさんがモチや蒸したトウモロコシなどを売っている。これを食べるのが好きだ。
9月5日韓国を離れる。
このときの日記を見ると、9月5日釜山港発小倉行きのアリラン号に乗り、6日発特急ツバメで大阪に着いていた。
時間は10:45発、大阪午後6:35着とある。
そのときの切符を見ると(左の写真)、昭和41年9月6日の日付があり、「自由席特急券」小倉→京都、2等700円だ。安いね。

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