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フィルム・スキャナーで過去を旅する

僑文社在日実業名鑑を編集

교문사 재일한국인 실업인들

1988・89年新年会


フィルム・スキャナーで、古いフィルムから現れる過去への旅に出発する。なにがあったのかな。


1988年・89年、まだ多言語システムは開発する前、ハングル電算写植による仕事が中心の時だ。
文字入力はパソコンPC98で行っていたので、外部入力者や、韓国から来日した商社マンの奥さんの
アルバイトも多くいた。その入力データを電算写植のデータに変換、組版した。

1988年1月新年会を終えて。東京支社長もいる。みなさん若いですね。
玄関をご覧、全部ドアになっている。そして、並びに旅館があった。看板が見える。
東京から、校正などに来たとき、この旅館に泊まりながら仕事をした。
この時、朝鮮語大辞典やら、宝島の10日間のハングルや三修社の基礎ハングルの仕事をやった。

世界で初めてハングル電算写植を考案、入力機第1号機が1982年に僑文社(現KBS)に導入。
この時は約80パーセントが東京からの仕事だ。

1989年新年会を終えて。大写協ソフトボール大会で優勝。レックス会ボーリング大会優勝杯を持って。
ゆんす君の顔もある。この時は建国高校生。允男現社長の顔も、この時は高麗大学生。冬休みで来てる。

共同新聞社から「在日韓国人企業名鑑」の取材、編集、印刷の受注をした。
そのとき、名鑑編集室を編成して、新しく社員も増強した。その一人が伊勢木さんだ。

いつも変わらない新年会のようすだ。

この時の電算写植・組版室は現在の1階事務所だったところ。後に、裏の現休憩室に移動する。
奥のドアが電算室の出入り口だ。ドアのガラスには僑文社20創立20周年のカレンダーが貼られている。
右に座って作業をしているのは鄭炳采部長、モリサワ電算の組版を行っている。鄭部長の奥にあるのが、リョービ・レックス出力機。
文字入力はPC98で行っている。
まだ、2階がないので、ここへ入るには隣の中野さんの家の横から出入りした。
玄関の電算室のドアの前で。ここにも20周年のカレンダーが右に貼られている。
允男君は僑文社と同じ年、20歳だ。
1988年の新年会 東京支社長
西田さん 鄭部長
上間現部長、伊勢木さん
高麗大学生の允男君。冬休みで参加。
北村さん、この人は誰だったかな。林専務。若いね。

在日韓国人実業名鑑<関西版>は、呉芳美さんが、チーフになって、取材、編集を行った。
すべてがコンピュータ処理。NECのPC98が活躍した。ソフトは「桐」と「KOAハングル」だ。
これで、ハングルのカナダ順にソーティングしたり、最後にはハングル電算写植で組版をする。
1988年夏頃に受注して、完成発行は89年5月だ。約9ヶ月で完成している。1200ページ。
短期間でよくこのような作業ができたものだ。
奥付を見ると、
編集は「共同新聞社在日韓国人実業名鑑編纂室」とある。この時、共同新聞社の一室に編纂室という部屋をもらい、私たちは編集チームをつくり、共同新聞社へ出張することにした。
共同新聞社にもPC98を導入してもらい、取材したデータはすぐ、98に入力。そのデータは僑文社へコンピュータ通信を利用し、送信される。

いま振り返って見ると、楽しい仕事だった。


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