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白頭山に登った!
バンジャ
足をケガする<1>

방자가 발을 부상당함

2006年9月17日

白頭山天池をバックに。

2006年9月16日から25日までの予定で、中国延辺方面へ旅に発った。
参加者は、金賢太郎さん、その奥さん、石山さん、案内役の李ホチョルさん、そして、バンジャと私だ。

17日、天気が晴れだ。朝早く5時半(日本時間6時半)ボンゴ車に乗って、白頭山へ向かった。
とても天気が良かった。白頭山の山頂がこのように綺麗に見られるのは、年に何日もないという。
前回2002年に、登ったときは、こんなに綺麗に見ることができなかった。

いい景色を見て下りるとき、バンジャは足を滑らし、骨折のケガをした。
すぐ、延吉にある延辺大学病院で、診察をしてもらった。レントゲンを撮ってみると足の骨が折れていた。
バンジャと私は、旅行を途中で止め、日本へ帰り、日本で治療をすることにした。

白頭山はとてもきれい。
きれいな景色を堪能して、降り始めた。
望遠鏡で見ると、北朝鮮側が見える。
白い階段のような道があって、下まで降りることが出来るようだ。
バンジャは調子よく山から下りてきた。しかしうっかり足を滑らし、ケガをした。それは午後1時40分頃。
金賢太郎さんの応急処置がすばらしい。すぐ、足に本でささえ、きつく締めた。
直ぐ山頂の下の応急治療のところでは、骨折に対しての対応が出来てなかった。
とりあえず、氷で冷やしながら、締め付けた。
延吉に着くと、もう暗くなった。 延辺大学病院へ。
石山さんやホチョルさんがバンジャをおんぶした。
応急診察を見てもらい、レントゲンを撮った。
これらの様子を撮るのを警備員らしきの人にやめさせられた。それで、レントゲン写真撮影などの様子は撮れなかった。
医者は直ぐ手術が必要だと言われた。
しかし日本で手術すると言って、応急処置のギブスをはめて病院を出た。
夕食は延辺料理の串焼きだ。
きょう取り立ての松茸を焼いて食べた。それもたっぷりだ。
やっぱり、延辺に住んでいる朝鮮族は同じ民族なので、料理も口にあっておいしい。

賢太郎夫妻は満足そうだ。

朝食はホテルでバイキングだ。
車いすの代わりに荷物を運ぶ車に乗って。
北朝鮮の店があった。入ってみればよかったのに。
ホチョルさんは旅行社に連絡を取り、一番早く大阪へ行く便を探し、航空券を買いに行った。大連を経由して大阪へ行く中国南方航空があった。
ホチョルさんはインターネットで大連空港に近いホテルを探した。しかも、韓国語か日本語が通じるところだ。
このホテルはフロントに朝鮮族がいて、言葉が通じるからいい。
中国で全員一緒に食事する昼食。最後の晩餐ではなく最後の昼餐だ。
冷麺がおいしいと言われるところへ行った。
白頭山で撮った写真を見ながら、別れを惜しむ。 夕焼けだ。
延吉空港。あまり人がいない。静かだ。
ホチョルさんは空港から車いすを持ってきた。
皆さんと別れだ。 私たちも中へ入る。
空港内にハングルの新聞があった。
おお!延辺のウリ学校も創立60年だ。
乗り降りに職員たちが手を貸してくれる。
大連空港にはホテルから迎えに来た。しかし、言葉は通じなかった。
どうしても足が痛いので、ギブスを取った。するとすごい水ぶくれが出来ていた。これは痛いはずだ。
19日朝、ホテルの窓から外を見る。 朝8時頃、ホテルの職員と私だけで空港へ行った。
タクシーでホテルに戻り、大急ぎでチェックアウトして、バンジャと空港へ。「空港の職員は遅れて、乗れなくとも知りませんよ!」ときつく言われたが、間に合った。
ホテルの職員は言葉も通じないし、要領が悪く、自分で朝鮮語が出来る空港職員に話を聞きながら搭乗手続きをした。とても時間がかかった。
この大連のホテルの対応は本当にひどかった。
大阪行きの中国南方航空の飛行機に乗り込んだ。
ホッとして、ピース!ピース。
離陸前にアエバ外科病院へ電話して「よろしく」
関空に着くと航空会社の職員が車いすを持って迎えに来てくれた。
ああ、大阪に着いた。これから病院へ。

■バンジャが足を骨折病院へ入院(2006/9/19)
■白頭山に登った!(2006/9/17)


■私の目で見た延吉・琿春(2005/8/10)
■私の目で見た中国延辺(2002/8/31~9/4)
■WAAK白頭山観光と朝鮮族の役割(2005/3/8)


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