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格安ソウル旅行トンボツアー
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2010年9月20〜22日

9月21日<2日目>ホテルで朝食を取った。ホテルの周りには朝食を取る食堂らしきのが
見あたらない。あったとしても秋夕休みだ。本当に、みんな盆休みの連休を取っている。

ホテルで朝食を取って、外へ出た。地下鉄に乗って光化門へ行った。
地下鉄から外へ出ると、そこには広い広場があって、大きな世宗大王の像が座っていた。

雨が降ってきた。光化門に入るつもりが、雨のための近くの本屋・教保文庫に入った。
1時に重明殿へ行くことの予約を入れているので、本屋にいつまでもいることができない。
タクシーに乗って、徳寿宮の後の重明殿へ行きたいというと「それはなにかの店ですか」と、知らない。
徳寿宮を一回り廻ったが、わからない。それも仕方ないだろう。8月29日から公開されたのだから。
結局、徳寿宮の正門入口で聞き、歩いて貞洞劇場の側、重明殿へ行くことができた。
まだ早かったので、近くの国立美術館の喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら、時間を待った。

重明殿見学には午後1時からのチームに参加した。10人ぐらいだ。女性の説明があって、約1時間。
1905年11月18日、午前1時に強制的に日韓保護条約が結ばれたことの内容を中心に展示されている。
条約の書面には11月17日と書かれている。これは前もって書いていることを物語るのではないだろうか。
日韓の不幸な歴史の始まりを、すこし勉強できた。

終わって、出ようとすると、そとは豪雨だ。止むのを待っていたが、なかなか止まない。
それどころかますます雨がきつい。下の土が川のようになってきた。
いつまでもそこにいられないので、雨にずぶ濡れになりながら、外へ出た。
タクシーに乗って、光化門へむかったが、あまり雨がひどいので、ホテルへ戻ることにした。

外のおいしい韓国料理を食べるつもりが、それができなくなった。やむなくホテルのレストランで
ブルゴギ定食を食べたが、値段は高いが、味が美味しくなかった。

++++
9月13日に、次のようなメールが来た。
★☆祝!関空〜清州定期便就航記念!第三弾!!☆★先着10名様限定♪♪
 ◆◇◆¥10,000(燃油サーチャージ込)緊急募集!◆◇◆

FIメンバーのSさんが、会う度に「韓国へ行きたい」というので、Sさんに連絡。
「行く!」と言うので、参加を申し込んだ。
ところが、やむない事情があって参加できなくなったので、急遽バンジャと行くことになった。
++++

地下鉄から上がると、世宗大王の像が。

李舜臣の像

光化門をバックに

重明殿へ行きながら

重明殿の庭にある、ハーグへの特使3人と高宗皇帝。

説明を聞きながらの見学

1883年3月6日、高宗制定、大韓帝国の太極旗

入口にある重明殿の説明板

出るときはすごい豪雨だ。

市バスが流れて来たゴミ箱で、動けない。運転手がそれを取るのにひと苦労

洪水だ。李舜臣将軍が

朝、ホテルの周りを行ってみた。小さな印刷関連の工場などがあった。
秋夕なのでアナウンサーもこんな服装だ。
ホテルで朝食。バイキングだ。18,000ウオン。
KBSテレビに李明博大統領夫妻が出演。
ホテルの窓から見る乙支路4街。車が少ない。
大統領から令夫人へ、誕生日に送ったカード
地下鉄の切符を自動販売機で買う。
駅ホームの案内板はわかりやすい。
地下鉄から出ると、
自転車乗りたちだ。

動画・光化門広場

教保文庫に入った。
「月刊朝鮮」10月号に建国初代理事長の記事が載っている。写真のほとんどは私が送ったものだ。
日本の本もたくさんあった。
ソウル市立美術館の喫茶店に入る
コーヒーがおいしい。
入口にある重明殿の説明板
約1時間の説明が行われた。
シンハン民報に掲載された日韓保護条約の風刺画
ハーグへ3人の特使を派遣した。
高宗皇帝が発行した特使委任状
ハーグへ招待された名簿。返事がなかった国に韓国も含まれている。
大韓帝国の旅券
高宗皇帝
高宗皇帝の印鑑
アメリカをはじめ各国の新聞は、条約を肯定的に書いているが、皇城新聞は「この日に悲しんで大泣き」したと書いた。それで、廃刊になった。
ハーグ万国平和会議が開かれた場所
重明殿へ入る前に記念写真を撮った。
見学を終えて出ると、大雨。約30分ほど待ったが、止まないので、重明殿を出た。

ネットに記事がアップされているので、ここに乗せることにした。

news記事より
乙巳勒約締結の現場「重明殿」 105年ぶり復元…8月29日公開

1905年11月17日、日本の憲兵と警察が重明殿(ジュンミョンジョン)会議室のベランダと一つしかない出口を囲んだ。乙巳勒約(第2次韓日協約)締結に最後まで反対した参政大臣の韓圭ソル(ハン・ギュソル、1848‐1930)は屋根裏の部屋に閉じ込められた。大韓帝国は外交権を失った。 高宗(コジョン)はハーグ特使(1907年)を派遣し、条約の不当性を知らせようとしたが、強制廃位となる。

乙巳勒約の現場である徳寿宮(トクスグン、史跡第124号)の「重明殿」が復元された。韓日強制併合100年となる29日から一般開放される。 重明殿は、1897年に高宗が皇室の図書館として建設したロシア風近代建築物。1904年の慶運宮(キョンウングン、現徳寿宮)大火災の後、高宗は重明殿に移り、廃位となるまで3年間ほど執務室として使用した。

もともと徳寿宮圏域に含まれた建物だが、日帝が宮廷を3分の1ほどだけ残して毀損したため、現在は貞洞(チョンドン)劇場付近に離れて存在する。日帝の強制占領期には外国人社交クラブとして使用され、皇室財産に戻った後、また民間に売却され、事務所に改造されたりもした。

文化財庁は06年、重明殿を買い取り、07年から原形の復元に入った。地下1階、地上2階規模のアーチ型テラスに囲まれた赤レンガ建物の本来の姿を取り戻した。文化財庁のイ・ジェソ事務官は「韓国伝統方式で花こう岩の基礎を積み、その上に洋式でレンガを積んだ独特の建築方式が、地下室で確認された」とし「用途は明らかになっていない」と述べた。

復元された重明殿は歴史展示室として活用される。「重明殿の誕生」「乙巳勒約を証言する重明殿」などテーマ別パネルと史料・映像資料などが展示されている。一日6回(午前10時から毎時、正午除く)、毎回25人ずつ案内を受けながら観覧できる。20人は徳寿宮ホームページ(www.deoksugung.go.kr)の事前予約で、5人は現場で受け付ける。無料、月曜日休館、(02)732‐7524。
韓日有識者、強制併合の現場で「沈黙の行進」

【ソウル29日聯合ニュース】韓日併合条約発効からちょうど100年を迎えた29日、韓国と日本の有識者が第二次韓日協約(乙巳条約)と強制併合の現場で、「沈黙の行進」を行った。

 韓日併合は根本から無効だったとする共同宣言を主導した金泳鎬(キム・ヨンホ)柳韓大学総長、李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学名誉教授、和田春樹・東京大学名誉教授ら韓日の有識者約20人は同日午前、ソウル・徳寿宮の重明殿に集まり、展示されている第二次韓日協約関連資料や、朝鮮第26代国王・高宗の旧執務室を見学した。

 その後、韓日併合条約が公布されたソウル・南山の旧統監府跡を訪問。「強制併合100年共同行動韓日執行委員会」が開催した旧統監府跡の標石除幕式にも参加し、付近のホテルに移動し会合を行った。

 今回の行事を企画した金総長は、「世界史において類例がなく説明もできない乙巳条約と強制併合の現場で、『これ以上何の言葉もない』との意味で、沈黙の行進を行った」と説明した。

 和田名誉教授は、韓日有識者による共同声明の発表にもかかわらず、日本の菅直人首相が今月10日に発表した談話が内容不十分だったのは、日本側の努力不足のためだと指摘した。また、特別な日に行事に参加できたことを大変うれしく思うと述べた。
japanese@yna.co.kr

重明殿の展示室を見学する韓日有識者ら=29日、ソウル(聯合ニュース)

ソウル市内は川のようだ。 タクシーに乗ってホテルへ戻った。
ホテルでのテレビニュース。チョンゲチョンがご覧のとおり。
豪雨でホテルにもどり、ずぶ濡れの服を着替え、外へは出ることはあきらめた。

動画・すごい豪雨だ。


日を追って見よう、2泊3日のソウル観光<3>
2泊3日のソウル観光<top>


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■MTB自転車でソウルを走る(2001/11/23〜27)

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