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私の目で見た中国延辺
2002年8月31〜9月4日

中国瀋陽から延辺・延吉へ寝台列車に乗って

まだ未完成です。
第1日目(9/31)
関空に8時5分の集合なっているので、上六から関空行きの空港バスに乗った。
このバスには、主催者である聖公会生野センターの呉さんや、参加者の数人が乗っていた。
関空には集合予定時刻より30分早く着いた。
今回の参加者は旅行社マイチケットの山田社長を含め、25名だ。私はほとんど知らない人たちだ。
搭乗開始は時間通り9時半頃始まった。瀋陽行き全日空NH947便は大連を経由と言うことで、いったん飛行機から降りて、入国手続きをした。
私達は団体ビザと言うことで、パスポートにスタンプは押してもらえなかった。
6月の社員旅行で北京に行ったときは、もらったのに。
同じく団体ビザだったのに。時によって変わるのかな。
約1時間して再び、同じ飛行機で瀋陽へ飛んだ。
窓際に座った。大連で降りる人がいたので、空席が多くできたのだ。
外は雲一つない、快晴だ。空から見る、瀋陽まわりの陸地は平野で、緑が青々として、豊年だなと感じられた。

瀋陽に着いたら、現地の旅行社のガイド、楊軍さんが私達を待っていた。
マイチケットの山田さん
聖公会生野センターの呉さん、
今回の旅行に関して説明。
機内では、亀本さんと隣に座った。
中国瀋陽に近づいた。空から見るとあおあおとしている。
私達の飛行機は予定より早く着いた。
現地ガイド、楊軍さんが出迎えた。
空港を出てバスのところまで歩いて行った。
天気は快晴で、気温が32度と、暑い。
まず、9.18歴史博物館へ行った。まあ、ソウルの民族博物館みたいなものだ。
日本軍国主義に対する抵抗を展示したのが、主な内容だ。
列車を乗るまでの時間があったので、例の「北」からの亡命騒ぎがあった、日本領事館を見ることにした。
しかし、写真はバスの中からでも禁止された。えらいきびしい。これならピョンヤンでよりもきびしいではないか。
見るのも、バスから降りることなく、走るバスの中から窓越しで見るだけの事だった。なんか、がっかりだ。
瀋陽空港から出て
瀋陽空港庁舎をバックに呉さんと 市内へ向かう道路に韓国企業の広告が
瀋陽の市内へ向かう(バスから)
お、軍隊の移動かな(バスから)
9・18記念館
9・18記念館前で
延吉へ行くために、瀋陽北駅へ。
大きな駅だ。
私達は寝台車に乗って、延吉へ向か事になっている。
駅内は人たちが多い。売店でもいろんなものを売っていた。市場の役割も果たすようで、おかずなども売っていた。
私達は寝台車に乗るお客だから、一般客とは、別のソファーのある部室が待合室になっていた。
約1時間ぐらいの待ち時間があったので、駅内を見回ってみた。
一般の待合室を覗いて見ると、沢山の人が詰め込まれるように、混みあっていた。
延吉へは、終点図們行きの列車に乗る。ホームで待っていると、6時20分頃列車が入って来た。
沢山の車両が連なっていた。20以上と思われる。
瀋陽北駅、大きい
中に入ると、エスカレータで登っていった。
列車の時刻の案内のようだ。
私達の待合室はソファーになっている。
一般の待合室 売店ではいろんなものを売っていた。
私達がのる列車のホーム案内
ほんの少し、ホームで列車が来るのを待った。
本当に大きな駅だ。
私達が乗る客車の車掌さんが、切符をチェックして、乗り込んだ。
6時20分頃、列車がホームへ入ってきた。
中華式にたっぷりと出た。
食堂車で、同室の人たちと食事
私達が乗った車両は寝台車だ。
一つの部屋に4人ずつ入る事になっている。
私は斉藤さん、荻原さん、原田さんと同室だ。
乗ったのが、夕方遅かったので、外の景色はあまり見ることができなかった。
それでも、できるだけ、列車の窓から見る中国の景色をビデオカメラに納めるように、勤めた。
しばらくすると、晩飯だと山田さんが呼びに来た。食堂車は私達がいる、車両のすぐ隣の車両だ。「気楽にちょっと歩いて中華料理屋に来るようだ」と、同室の一人がいう。
食堂車は9時までの営業ということで、込み合っている。そこを旅行社の山田さんらが席を確保して、私達を呼ぶのだ。
料理はなんの料理かわからないが、全部同じものを食べている。どうやら一種類の料理だけのようだ。
皿に山盛りに持って出され、なんだかグロデスクに見えたのだが、味はイケる。あんなに量が多いと思っていたが、4人できれいに全部食べた。
部屋は2段ベットになっていて、4人が上に2人、下に2人寝るのだ。
足を延ばしてゆったりと寝ることはできたものの、ぐっすりは眠れなかった。
私は寝台車に乗るのは生まれて初めてだ。
あんなに多いと思われたのが、4人できれいに平らげた。
おいしかった!
食堂車はしきりにお客がいっぱいだ。
ゆったりとは言えないが、十分休める。
2段ベットになっていて、一部屋に4人ずつ
延辺朝鮮族自治州の圏内に入ったようだ。駅名には、漢字の他にハングル文字が書かれている。
朝5時頃、ドンファと言うところへ着いた。
もう延辺自治州の中へ列車は入った。
駅名にはハングル文字が書かれている。
何か知らないが、胸にあついものが感じられる。
ドンファという駅、なかなかしゃれている。
ハングルをこんな外国に来て見ると変な感じだ。
車窓からみる、風景は農作物が豊作だ。
列車内の洗面所、ここで顔を洗ったり・・・
なつかしい、藁葺きの家が見える。
トイレ、これはきれいな方だろう。
アンドに着いたら、沢山の人が降りた。乗る人も多いようだ。
私達の4人は、ある人は日本から買ってきたボトルや、駅で買った中国酒などをテーブルに広げ酒盛りが始まった。呉さんや、鈴木さんも私達の部屋に来て、一緒に飲んだ。時々車内販売の押し車が通る。ビールなどを売っている。缶ビールは4元だ。日本円で60円ぐらい。安い。
11時ぐらいに眠りに入ったが、すぐ目が覚めた。やはり、列車はゆれるし、ガタンゴトンの音はするし、眠ったかと思ったら、目が覚める。
1時頃列車が長いこと止まっていたので、外を見ると吉林であった。また眠り、今度はドンファといる駅に泊まったとき目が覚めた。もうだいぶ明るい。
もう起きることにした。
車の外の景色をビデオカメラに収めることにした。
6時20分頃、アントというところに着いたチョット長めに泊まったので、ホームへ降りてみた。
沢山の人が降りたり、乗ったりしている。

私達の車両を担当する、女性車掌はきっちり、任務を果たしている。
この窓のところが、私達の部屋だ。荻原さんと原田さん
車両には瀋陽発図們行きと書かれた看板が。
駅員
ローカーで記念撮影。

私も歩いているところを鈴木さんに撮ってもらった。

鈴木さんと
延吉に着いた。7時40分頃だ。
ほとんどがこの駅で降りているようだ。
朝鮮族の人もたくさん降りている。
あるおばさんは荷物を頭に載せて歩いていて「ソウルに行って来ました」という。
延辺朝鮮族自治州50周年記念式典参加に歓迎するという、プラカードも架かっていた。
改札を出ると、そこには全永男さんが私達を待っていた。
いよいよ、延吉に着いたのだ。
外は雨が降っている。
「ソウルへ行って来ました」
「歓迎します」というプラカード
改札口「列をして検札をしましょう」とハングルで
全永男さんが改札口で待っていた。

延辺旅行へつづく

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■私の目で見た平壌(2002/5/18〜25)

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