즐거운 입원생활
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11월 26일부터 입원하였다.
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もし、韓国語が見られない場合、ここを参考にしてください。
12月10日昼1時、今日はいよいよ内科から、外科病棟へ引っ越しをした。 | ||||||||||||||
エコー検査の為、朝食抜きだった。検査が終わって、遅食だ。それはパン食だ。 | ||||||||||||||
ここでエコー検査だ。 | ||||||||||||||
腹部エコー検査を朝行った。 | ||||||||||||||
入院中、ずーっとおシッコの検査だ。 | ||||||||||||||
おシッコを貯めて検査する。 | ||||||||||||||
角 千夏さん、よくめんどうを見てくれる、看護婦の一人。 | ||||||||||||||
603の内科病棟での最後の昼食だ。おいしい! | ||||||||||||||
外科病棟へ引っ越し。1階下の5階だ。 | |||||||||||||||||||||||
同じく東館、502号室の入口側だ。 | |||||||||||||||||||||||
外科の担当、看護婦さん。 手術の説明をする。 |
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手術前と手術後の説明 | |||||||||||||||||||||||
眼科の検査だ。そんなに変化がない。 | |||||||||||||||||||||||
眼科での看護婦さん | |||||||||||||||||||||||
担当の金亜椰先生。
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眼科のカルテ。眼底の写真もある。まだ、大丈夫だ。 | |||||||||||||||||||||||
10日午後5時ごろ、麻酔担当の福嶋美香先生。 親切丁寧に説明してくれる。 |
レントゲン検査をした。 | ||||||||||||||||||||||
手術の時、全身麻酔をかけると言う。 麻酔をかけると、目が覚めたときには、手術は終わっているとのこと。 これを聞いて安心した。 |
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12月10日、午後6時ごろ、外科担当の武元浩敏先生から、手術のことを説明を聞いた。 腹腔鏡下胆嚢摘出術とは、 腹部に4ヶ所の穴(大きさは、へそ下に10mm、みぞおちに10mm、右上腹部に5mmを2つ )を開け、その穴から内視鏡や手術鉗子を挿入し、胆嚢を摘出する方法という。 |
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胆のう(緑の部分)を切り取る手術だ。 | ||||||||||||||
胆のうの部分にポリープがある。 | ||||||||||||||
手術はカメラを入れて、モニターを見ながら行う。約2時間ぐらいかかるという。 この手術は矢野先生が評判がいいという。うっかり、矢野先生の写真を撮ってなかった。 |
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これを腕に巻く、名前と血液型を記している。 | ||||||||||||||
1階の玄関あたり、クリスマスの催しがあるようだ。準備をしている。 | ||||||||
12月11日に、一階の玄関ホールでコンサートがあるという。 | ||||||||
12月11日、昼1時半からクリスマスコンサートがあった。生野中学のブラスバンド部。 | |||||||||||||
眼科の看護婦だ。娘さんと。 | |||||||||||||
新井さんが見舞いに来た。 | |||||||||||||
患者さんの観客が結構多い。 | |||||||||||||
12月11日の昼3時頃から、外出をした。 今日は自宅で泊まった。 12日の昼12時までに病院へ戻った。 |
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12月12日、日曜日。 | |||||||||||||
張成秋さんが来た。 | |||||||||||||
11日、私が家に行っている間に横沢さんが花を持って来た。 | |||||||||||||
上間部長が来た。 | |||||||||||||
手術室に入る時の説明があった。 | |||||||||||||
へその掃除をしてくれた。 | |||||||||||||
下剤を飲んだ。夜9時から水も飲んではいけない。 お腹にあるものはすべて外部へ出すのだ。 |
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12月13日8:15、点滴をつけた。 | ||||||||||||||
手術の直前。 | ||||||||||||||
これから手術に入るのだ。鄭牧師が撮影。 | ||||||||||||||
朝8時ごろ、鄭牧師が見舞いに来てくれた。 | ||||||||||||||
いよいよだね。 | ||||||||||||||
足に血栓ができないように、ソックスを履く。 | ||||||||||||||
手術室は3階だ。この門からは、付き添いも入れない。 | ||||||||||||||
12月13日、いよいよ手術。時間を追ってみよう。 | |||||||||||||||
8:15手術のための点滴をつける。 | 8:30血圧や血糖などを測る。 | ||||||||||||||
最後のトイレに行く。お腹にあるものをすべて外へ出すのだ。 | |||||||||||||||
8:50移動ベットへ。 | |||||||||||||||
二人の看護婦さんが私を手術室へ運ぶ。 | |||||||||||||||
じゃ、入るよ。と手を振る。 | |||||||||||||||
私を乗せたベットは | |||||||||||||||
手術室へ入った。 | |||||||||||||||
手術室のドアはしまった。 | |||||||||||||||
9:00手術が始まった。
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11:05手術室から出る。 | ||||||||||||||
11:10意識が戻る。自分のベットにいた。 | |||||||||||||||
摘出された私の胆のう。半分に割ったもの。 | |||||||||||||||
11:55全身麻酔から目さめて初めて、自分でビデオカメラを回して
撮ったのがこの点滴装置だ。 |
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12月13日11:15、手術後、目覚めて、Vサインをする。 | 点滴、これは栄養分だ。飯の代わりだ。 まだ、水も飲んではだめだ。 |
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手術室から帰還して目が覚める。 | ||||||||||||
膀胱から管を通して、小便はここにたまる。 | ||||||||||||
いろんな機械も一緒についてきた。血圧や、脈拍など、瞬時にわかる。 | ||||||||||||
手術室から出てきたら、管がいろいろと付いている。 | ||||||||||||
12月14日、朝8時ごろ、 | ||||||||||
武元先生が糸のようなものを抜いた。そして管のようなものも抜いた。 | ||||||||||
糸のようなものを穴から抜いた。 | ||||||||||
もう水やスポーツ飲料などを飲んでもいいという。 | ||||||||||
12月14日、手術後1日目。 | ||||||||||||||||
崔浅子伝道師が見舞いに来てくれた。 | ||||||||||||||||
元気だ。本来の私に戻った。 | ||||||||||||||||
昼食から、手術後初めての食事、おもゆが出た。 これで持つのかな。 |
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崔浅子伝道師が持ってきた花。きれいだ。 | ||||||||||||||||
9:30、尿道に入っていた管を取った。 | ||||||||||||||||
10時ごろ、点滴も取った。 | ||||||||||||||||
傷は4箇所のようだ。大きいので2センチぐらい、小さいので5ミリぐらいかな。 | ||||||||||||||||
12月15日、朝8時ごろ、武元先生がガーゼーを取った。テープで、傷を保護しているのでシャワーをしてもいいと言う。 | ||||||||||||
ホッチキスのようなものを取るのは、もうしばらく後だ。 | ||||||||||||
朝食に米粒が少し入ったのが出た。 | ||||||||||||
糸というより、本当にホッチキスだね。 | ||||||||||||
へその下が一番大きな傷だ。 | ||||||||||||
12月16日夕食はおかゆではあるがおかずに焼き魚が出た。 | ||||||||||||||||
15日昼に、金ヘンチュンさんが来た。 | ||||||||||||||||
15日夕方、ポグ兄さんが見舞いに来た。 | ||||||||||||||||
ガーゼは毎日換える。 | ||||||||||||||||
真田さんから花が贈られて来た。 | ||||||||||||||||
調子はどうですか。体温は?薬は飲みましたか。など聞く。 | ||||||||||||||||
今飲んでいる薬はこの3種類。 左から、血圧の薬=ブロプレス錠 アダラードCR錠。この2種の薬は朝食後すぐ。1日1回。 糖尿の薬=メデット錠。毎食後すぐ。1日3回。 |
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花の置き場所がない。 | ||||||||||||||||
16日朝11時頃、映子ちゃんの母が見舞いに来てくれた。 | ||||||||||||||||
12月17日昼に、松井さんと児島さんが見舞いに来た。しかし、そのときは私散歩がてら、会社にいたので、会社へ来た。 | 12月17日、昼食に、米のごはんが出た。5日ぶりか。 | ||||||||
17日、午前11時頃、お風呂に入った。ところが、バンソウコウを取り替えながら、看護婦が「シャワーだけのはずじゃなかったの」という。 あ、勘違いして湯船まで入ってしまったようだ。 |
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病院の風呂は小さいが一人なら、いい。きれいだし、外の景色もいい。 | |||||||||
12月18日午後5時、ケイビーエスの忘年会 これに参加することを、オーケーをもらった。 |
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乾杯! 私はダイエットダイエットロング缶1本を飲んだ。 |
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料理は鍋だ。寄せ鍋かな。サカナ、貝、野菜がだっぷりだ。 | ||||||||||
午後5時から始まって、病院の門限9時までの4時間。あっという間だ。私は病院へ戻ったが、宴会はつづく。 | ||||||||||
12月19日(日)建国の李正市校長が見舞いに来た。
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18日に山本さんが見舞いに来た。 | ||||||
NTT大阪病院の案内板。 | |||||||
これから、糖尿病センターでは、まだまだお世話になる。 | |||||||
20日あさ、糸(ホチキス)を抜いた。 | ||||||
傷はもう自然に閉まるという。 | ||||||
12月20日、体調がいいので散歩を兼ねて、電車、環状線に乗ってあべのへ行った。 | |||||||
新井さんは見舞いに来て、退院の前祝いといって夜6時頃、連れ出し、鶴橋の焼き肉屋へ行った。 | |||||||
散歩に出でいる間に、島田さんと櫻本さんが来た。 | |||||||
校友会の金賢太郎会長夫妻が来た。 | |||||||
12月21日、午前退院だ。 | |||||||
傷に当てたガーゼもすべて取った。 | |||||||
病院での最後のメシ。 | |||||||
今日の血糖値、少し高めだ。 | |||||||
12月22日に、血糖のコントロールをするために血糖の測定器を購入した。デルモ社製のメディセーフのセットを購入。 | |||||||
これは25日の昼、昼食前の測定値。高いね。 | |||||||
12月25日、退院して4日目、風呂に入り傷口を調べた。すっかりいいようだけど、まだ、かゆみはある。 | |||||||||||
一番上にある傷口。一番速い治りのようだ。 | |||||||||||
この左から胆のうを取り出したといわれる。 | |||||||||||
傷口は4カ所。 一番左から胆のうを取り出したところ、へその下からカメラを入れたところ。 |
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ここから胆のうを取り出したという。 | へその下にある傷口。一番治りが遅いようだ。 | ||||||||||
12月21日退院した。 しかし、「胆のう」にできた、ポリープが悪性か良性かを精密検査しなければならない。その検査結果は、05年1月6日に出る。 |
2005年1月6日、結果がでた。 「悪性でしたね。つまり、ガンでした。しかし、他に転移する前に胆のうを摘出しましたので、もう大丈夫です」と、担当の武元先生はいう。 |
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